節分と神様

2022年が始まってひと月が経ちました。

個人的に、ここしばらくは元旦より節分のほうが節目感があります。
とくに昨年の秋頃から、来年は2月に入ってから転換するなと思っていただけあって、世の中の年末年始を感じつつ静かに12月、1月を過ごしていた感じです。

潜在的に、大きく動いてると実感したこの年末年始も、1月終わり頃から陽のきざしを感じはじめて(それだけに陰の強さも捉えつつ)、どんな中からも愛を見つける力に名前が欲しいと思います。

クリスマスの時期、キリスト系幼稚園園児である娘が、聖劇を演りました。
昨年も練習してたけど、当日風邪でおやすみしたため実質、今年が初めて。
「聖劇」と言われているそれがどんなものかもわからないまま、「羊飼いと天使」の天使役を家で練習する様を眺めていましたが、本番の衣装をまとった子どもたちがステージに出てきた瞬間、やっぱり号泣です。
みんな立派!!と思わずスタンディングオベーションしたくなる私は、あの母の娘だと思います。
一人ひとりの短いセリフも、全員が揃うとちゃんと物語になっていて、ああそういうことか!とようやく理解しました。

ちなみに娘は「その赤ちゃんは神様の子ども、イエズス様です」というセリフを、割と低めの、頑張ってないテンションでスラスラ言ったので、涙が止まってマスクの中でニヤっとしてしまいました。
なんていうか、全体的に小慣れ感あるよね。娘。

その中の「飼い葉桶の幼子は みんなの待ってた救い主 よかったねよかったね 早く行ってごらん」という歌は、お風呂場でもよく聞いてたから私も覚えちゃって、ふとした時に鼻歌で歌ってたりして。

先日、車の中で同じメロディーのまま「よか〜った〜ね、よかったね〜 よかったよかったよかったね〜」と歌詞を全部「よかったね」にしてみたらどうかな?とふざけたら、娘が急に真顔になったので、あれ、いつもみたいにウケない…と思っていたら「それより、ありがとう、とうれしいな、を入れるといいなと思って」と。

「うれ〜しいな、うれしいな〜 ありがと〜う〜ありがとう〜 よかったねよかったね〜」と、娘が歌って聞かせてくれた時、昔出会った神様研究家のおじいちゃんが言っていた「神様の世界には、感謝と感動と歓喜しかないんだよ」という話を思い出して、ひとりジーンとなっていました。

自分自身と繋がっている人と、出会ったり過ごせたりするのは、悦びに目覚めて生きる、ということだ。