春がきた

娘の卒園式と、甥の卒業式が終わるやいなや、田舎に帰省してきました。
丸2年ぶり。

早朝、毛布に包まれたまま抱っこで車に運ばれて気づいたら目的地だった、という記憶がお気に入りの娘、今回も「あれ、してね!」と言ってたのに、あまりにウキウキで早々と起きてきちゃった。
行きの車中ずーっと自作の歌をテンション高く歌っては疲れて眠り、起きておやつを食べてふたたび歌い始める、ってくらいわかりやすく浮かれる姿にニヤニヤしつつ、その横で私もいつになくウキウキ。

甥と姪と娘のこどもたち3人は遊び尽くし、私たちは叔母と父を乗せてお墓参りに行き、帰宅したら従姉妹夫妻も来ていて、なんならいつものお正月より人が集まってる状態に。
従姉妹の娘が身内で開いたという結婚式の動画を見て、思わず号泣。
彼女もこの秋にはママになる。
甥の高校合格祝いと、娘の小学校入学祝いが交わされて、お祝いづくしの中、父の設計したお寿司屋さんで、両親と姉一家、私たち家族で夜の宴。みんなが元気に過ごしていて、こうして集まってお祝いができる幸せ。

世間はコロナ禍だったけれど、こどもの成長にたずさわる日々に夢中で、2年ごしに再会したらこどもたちはそれぞれ皆すっかり大きくなっていて、2年前のおもかげは姿形にはなく、ただ中身のまんなかは変わらずそのまんまで安心して。

改めて、甥と姪が生まれてきた頃のこと、それによって私は自然に「叔母」となったこと、毎朝雪かきを手伝ってくれたり、彼らの祖父母である父と母を日々支えてくれていることなどへの感謝を伝えているうちに涙が込み上げてきたら、すかさず「涙もろいところも、ママ(姉)にそっくりだね」と甥。

帰り際、姉家族との食事後そのまま帰宅することを母に伝え「またね、色々ありがとう」と車から手をふると、母は「気をつけてね、また遊びにきてね」と手を伸ばして、久しぶりに母と手を繋いだら、母は泣いていた。
母の手は冷たくて骨張っていて、私もまた泣いた。

翌朝母に電話したら、あれから甥がきて「ばーばどうして泣いたの?」って聞くから「なんだか幸せが込み上げてきたのよ」って言ったら「死んじゃわないよね?」って言うのよ、と笑っていた。

いつかはみんな死ぬんだけど。
生きてるうちに、見られて良かった景色が更新されている。
こんな景色を想像することさえできなかった過去の私と、それでもどこかでずっと願っていた光景を、きっと本当は誰もが叶えられるんだ、ってことを私は伝えたいと思う。