めぐる季節

春休みは、娘たちのスクールのお泊まり会からはじまりました。
考えてみれば、8年めにして娘がいない3日間は私たちにとって初めてのこと。

その後、地元の友人が来てくれて、初めてのふたり旅。

新鮮な感覚を味わうのが好き。
だから、普段から本を買いに行くのでもわざわざ遠くの行ったことのない書店を見つけて行ってみたり、同じものが並んでいるとわかっているのに、新しいコンビニでいつもと違う陳列棚を眺めるのが、ただシンプルに楽しかったりして。
いくつになっても「初めて」に出会い、新たな自分の側面を見つける旅を楽しんでいたい。

友人の初めてと、私の初めてを合わせたくて、彼女の希望を叶えたのち、私が行ってみたかったところへ。
前日まで春の嵐が来てたけど、「きっと当日は晴れるな」と予想していた通りの初夏のような陽気で、時間の経過や互いの変化、そして違いの中にある「やっぱり変わらない部分」が現れて感動でした。

人は、存在そのものが愛でできてる。


4月に入り、娘が見たかったという映画『のび太の地球交響楽』を観に行ってうっかり(また)泣いてしまったり、帰省したりと充実した春休みでした。

両親が先日行ってきたというカフェで開催されていた、ちぎり絵が素敵だったとポストカードを見たら、私が20年前、東京から帰省してまもなく、とある展示会で見つけた同じ作者のもの。「知ってる!」「やっぱり(娘だ)なぁ〜」と、驚きと不思議な面白さ。

毎年やってくる桜の季節は、私たちの結婚式記念日があって、だけど今までのどれとも違う、新しい春。

春分の日、自分の「本当に欲しいもの(それを得て味わいたい感情や感覚)」を見つけるワークをしました。
そこで見つけたのは、私は「祝福がしたかった」のだという事実。
それをしたいがための色々なのだということがわかった時、本質の求めるその視点に感動してしまって、顕在的な自分以上に自己イメージや思考や行動を裏付ける潜在的な「大元」の力を、もっと信頼していこうと改めて思うのでした。自分の心地よさに意識をシフトさせる練習みたいなことを、ずっとずっとやり続けて来たのだから。

そんな気づきに出会うやいなや、結婚、試験の合格、新たな門出などなどの報告を受け、身のまわりに祝福が溢れて。
春だなぁ!!と、芽が出る季節を味わっていたら、今日、また新たに最高に嬉しい報告。

様々な経験や思いを経て、結実する祈り、時を迎える瞬間に立ち会える喜び。
うれしい。
ありがとう。
おめでとう。