昨年のふりかえりと、魂

2023年は、根源回帰の一年になりました。

昨年がはじまる少し前、年末にふと「最後の罪悪感が手ばなれる」という直感があり、幾たびかループしていた「そのこと」に帰着するとともに、それに紐付いた様々な記憶、葛藤、そして感情の奥の本音が現れて行きました。
「自分を愛する」その奥深いことと言ったら。
瞬間瞬間の景色を、目いっぱい味わいながら今を生きた、そんな年でした。

義母との別れはあまりにもあっけなく、人との出会いや、人と過ごす時、互いの世界を通して交流し合うことの貴重さを改めて痛感すると共に、生きているということそのものの奇跡を味わっていました。
すべてが繋がり重なり巡りあっている世界のその一片として。

義母の最期に立ちあうこととなった濃厚な半年間は、まるで身口意の「三密加持」のようで。
時を場を共有するうち、まるで一心同体のようにして不思議な時流を体験することになりました。

ああ、私が私である所以は、この「意」によって体をもち、言葉になるものを表していた。
こんなにも言葉を必要として、ことばにある色や温度や熱量を使って私の見る(観る)世界を著したかった。
そんなawarenessな状態で出会えた人たちそれぞれが「生」を再定義して行くようでした。
私の熱量は、伝わったかな。
その真意は、伝わったかな。

人生を、命を、花ひらかせることを祈っています。

すべては奇跡。
思わず「残そう」と意識して写真をとっておいたひとつ。

義母の亡くなる2日ほど前、言葉と共に「事代主神」という文字が浮かんできました。
人生でも2〜3度めくらいの、頭が焦げるかと思うほどの強烈なエネルギーでした。

「何度でも思い出せ
 思い出すがいい
 何度でも、何度でもだ」

私たちの精神性。その心根。
身体中に氣を巡らせ、すべて「ある」この大地に立ち、私たち一人ひとりが、生きる。

心と精神、鍛えておいてよかった。

そして義母が亡くなり、親族や関係者を招くため部屋を片付けている中に、勉強好きな母のファイルがありました。
その最後のページに、義母の字で「事代主神」と書かれていました。
義母が最期に遺してくれた、私たちへのメッセージだと受けとっています。