暁 -あかつき-

3月に入り、都内で満開の様子を見た河津桜は、伊豆の河津町が発祥だったということを初めて知りました。
ちょうどひな祭りの日、近くで開催されていた桜まつりの最終日ということで、友人たちとひと足早いお花見に。
義母が送ってくれたお雛様は、娘が生まれてから毎年飾っていて、今年は義母のいない初めての春の節句。

娘は、変わったところと変わらないところを携えて、「たのしかった!」とか「ちょっと嫌だった」とか、いろんな思いを味わいながらスクスク育っています。

先月は、そんな娘にもらう形で久しぶりに風邪をひきました。
そこで見つけたのは、しっかり感じ切れていなかった古い古い感情の残りかす。
いつからか私の中で、身体に現れる症状は、それによって自分の何を未消化・未完了のままにしているのかを観察するための機会と捉えるようになった。
そう思うと、病気は「大事なサイン」なのであって、自然の一部である人間には本来、自浄作用や自然治癒力というものが備わっている。
その力を作用させるため、心と身体に丁寧に意識を向けていく。

蘇る記憶や景色、そのできごとへの反応をただよわせているうちに現れるものを、心の真ん中から捉えてみた。
やっと、今だからこそ掴むことのできた「見たくなかった」「感じたくなかった」「感じとれないくらい怖かった」古い記憶と感情。
そこには無自覚だった反応と、そこに重なりあっている感情が涙とともに現れて、感じきるとそれはもう形をとどめることなく私に同化した。
そしてもうあの頃の過去ではない今、この目の前に広がる景色を眺めている。
明るい午後の日差しはまぶしすぎるくらいで、静かに「日常」という暮らしがある。
心(身体)と世界のつながりは、何度味わっても見事に直結している。


今日もどこかで芽吹き、咲いている花々や数々のいのちがある。
自分が知らぬ間にも、動き、変わり続けている天体や自然の働きがあり、世界で誰かが亡くなり、誰かが生まれている。


明日は魚座新月。
娘の通うスクールの子どもたちみんなで創り上げる、お祭りイベントが開催されます。
知らない初めましての人に「いらっしゃいませ〜、って言えるかなぁ・・・!」とドキドキしながら、彼女は眠りにつきました。