2023
03.13

なまえ

娘の学校に行った時のこと。

先生:お誕生日、いつだったかな?
娘:7月7日、たなばた。
先生:そっか、七夕だったね!先生のお母さんと同じ誕生日だよ^^

「えっ?」と私は思わず、先生はにっこりうなづいて。

思えば先生のお名前は、娘の名をつけてくれた鑑定士さんの旧姓と同じ。
今さら、どころじゃありません。
ちなみに夫も、おじさんの知り合いの易者さんにつけてもらったそうで、
初めて名前を知った母に「喜びに力が加わっているのね」と言われてはじめて、
「確かに」と自覚したようです。

「なまえ」といえば
以前セッションさせていただいた、パートナーのお一方が
「自分たちの関係に、名前がないことはさみしい」とおっしゃったのが印象的です。

私はセラピーを病理に対して使ってはいません。
自身の状態に、病名や名前があると安心する、という感覚は味わっています。

名前があることによって、安心して「そのことと付き合う・向き合う」時間が得られることは大切なこと。

キラキラネームが始まって、終わりを迎えた様子。
性別、結婚、教育についての制度に対する法律も、変わってきている時代。
そのために尽力されている方々がいます。
ちなみに私は夫と、男女のちがいは、シンプルに「役割分担」としています。
どの役を誰に割り当てるかって、双方で決めればいいよね。



夫婦だけじゃなく、カップルとか、パートナーとか、いろんな言い方・呼び方がありますね。
りゅうちぇるが可愛すぎるし、ぺこちゃんもえらいなぁ。素晴らしい。素敵です。
リンクくんは2人の元を選んで、未来をつなぐ(リンクさせる)役としてきたのかも。

ちなみに私は、母が3人います。
毋も私もみな昭和生まれ、だけど
三者三様の母たちに出会えたことは、喜びでしかないと今、思います。
私もそうですが、人は見たいように見て、言いたいように言います。

ただ、そのことと「人の価値や尊厳」は別のもの。
自然そのものの変化に伴う、普遍性を備えた存在。
だから、どうあろうと自由。
言えなかったことも言いたかったことも、ただそのまま
素直に、言いたい人に言う、ということこそ「自己責任」。
いわゆる新聞やニュースで使われるニュアンスとは違います。

〜してほしかった。
〜してほしい。
〜つもりだった。

余白は、デザインで重視しているところ。
パーソナルスペースも、大切。
近い存在にこそ許されていて、足元を見ればこぼれ落ちるほど転がってるしあわせ。
だから「しあわせ」に気づいたら、ありがとうと言えばいい。
もちろん、子どもはきっと全部、お見通し^^




もしまだ無いと思うのなら、作ればいい。に尽きるかな。
私たち人というのは、永遠の中で、有限の肉体を持つことができる、クリエイティブな存在。
選び放題の今、しあわせは、それぞれ、その時々のぶんだけある。
あなたはいらなくても、誰かの必要ってことも、あるあるある。
どんな失敗作だって、作り手の経験のためにあるもんね。


これを書くのに、本当に長い時間がかかりました。
機がようやく熟すタイミングが今でした。

多くの方にとって、より快方に向かい、開放的であられますよう。
ありがとうございます。
ご縁というのは、言葉に尽くせない程に、ありがたいこと以外にありません。

人には、それぞれの経験や体験が与えられ、時間や空間さえも与えられているのだと信じて
それぞれの奇跡を祈っています。

GOOD LUCK!

『私か、私以外か。』←言ってみたかった

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