暮らし

今、住んでいる家は、内見のときの担当者によれば
「震災のとき、仮設住宅で暮らす方々が“仮設住宅を離れたくない”と言っていることに驚いて、それをヒントにしたコンセプトによって建てられたもの」
なのだとか。

この家の向かい合う、長屋のような作りは住人たちが自然と顔をあわせ挨拶を交わす。

玄関の片方全面のガラスは各家カーテンなどで覆っているものの居住者以外、気軽にその前を通りぬけにくい。
厳重な防犯システムより暮らす人々に、自然と見守られる形。

いくつも見て回った物件の最後についでに立ち寄ったこの家は、その意匠にふれて感動。即決だった。

なにより目の前の小さな丘を走りまわる娘の姿が、祖父母の家の前の公園を走りまわっていた私自身の記憶につながり、体が覚えていた当たり前の安心が蘇り、また様々な思いとともに、おもわず涙がこみ上げてきた。

私の見た景色が、光景に転じていくような。

いざ住むようになり親子総勢25人で海に行ったり、転勤が決まった一家に会うべく、3家族で関西まで行ったり。

今年のゴールデンウイークには、ベランダでノラの子猫が産まれた!とみんなで喜びあったり。
住人たちが「身内」とまで呼び合う、仕事も暮らしもすべてを循環しあう同志。

あの時こみ上げてきた涙を、今どうにか言葉にするなら、過去のできごとを、今からの未来に昇華する形にしていくのは、今を生きる私たちの役目なんだ、ということ。

「できごと」を「経験」として人生に活かすには、その意を深く知ること。

そして私たちは「犠牲の元」に生きているわけではなく存在や経験の恩恵を受けて生きている、ということなんだと思う。
それはきっと「見方次第」「捉え方次第」という魔法のような真理で。

私の背景にある先祖たちとの会話が蘇り、私は、私が選択した道を謳歌します。
と、そう決めたお盆の日。
神奈川にある、母方の先祖のお墓参りは、暑い、暑い、暑い一日でした。

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