願望達成系の情報がはやってたころ、「そうじゃない気がする」と感じてたことを、今なら言語化できる気がしたので書いてみます。
「夢を細部まで詳細に描くこと。そうしたら、夢は叶う」とある人が言っていた一言に対して。
「うん、でも細部まで描けるなら夢じゃなくもう“予定”だし、本当の夢って、それを夢と認識できないくらい
密やかに奥深くしまわれてたりするんだよ。」
正確には、夢と認識してしまうのが怖いから無意識的にそのことを避ける、って感じかな。
数年前の私にとって、結婚や出産は、夢のまた夢だった。
編集のプロデューサーとして、ブライダル誌の創刊にたちあう機会があったにも関わらず、自分がどんな結婚式を挙げたいとか、どんなドレスを着たいとか、そんなこと、いざ結婚が決まるまでたったの一度も考えたことがなかった。
自分でも驚くほどに、人生でたったの一度も。
だからいざ、自分のためにブライダル雑誌を買ったときは、
「これを堂々と買ってもいいんだ!」と、はじめてのおつかいみたいにドキドキワクワクしたっけ。
そして、昔つきあってた彼に
「子どもほしいとか、思う?」
と聞かれたとき、
「う〜ん、産む体験をしてみたい、とは思うかな」
なんて言葉になった思いを、自分で反芻してみてはじめて
「そう思ってるのか、私」
と自覚したくらい。
実際、私としては「未体験だから、経験してみたい」それが正直な本音で、それよりも結婚や出産にまつわる様々な情報やイメージ(主にネガティブなもの)のほうが顕在的な思考にはダイレクトに働いていて、私の結婚や、私の出産がある、とは思えなかったし、夢を描く時間やエネルギーが割けなかった。
すべては、母を守りたかった。
役に立ちたかった。
大好きな、大切な人だから。
ただその一心だったのだけど。
だから、ささやかでも「夢」「憧れ」と認識さえできたら、そんな遠い出来事じゃないんだと思う。
拗ねたり、歪んでたら、誰かへの嫉妬や攻撃的な感情になって現れるし、私の場合は、恋愛がうまくいかない、という現実をくりかえし「どうやらそのことに強烈なブロック(抑圧)がある」と自覚して、そこから催眠療法を学ぶうち、2〜3歳頃に見た、真っ白なドレスを来た女の人を見上げているという印象的な夢を思い出したことが大きかった。
そして一生懸命セルフでイメージワークをやっていたら、唐突に「自分が赤ちゃんを抱くイメージ」が湧いた。
それが、娘が生まれる、1〜2年前の話。
それからの道筋だって、何をどうしてこうなったのか、今はよくわからないし、覚悟した先に運や縁が織りなした世界。
はたから見たら「こじらせ感ハンパない、イタいアラフォー」だったと思うのだけど、「わたしの夢」にくらいつく勢いで向き合ったあの頃の私、よく頑張ったね。って思う。
だって、こわかった。
何にせよ、ブロックを自覚したり、自分の可能性を諦めなかったり、未体験にチャレンジしようとしたりするそもそもの私の生きる力が、直感を働かせ、勇気を出して出会いを生み、今ここを創り出してる。
自分のために、新鮮なフルーツを買う。
自分のために、花を買う。
自分のために、好みのバスソルトを見つける。
そんな身近なところから、お母さんや、周りの人が幸せであることを願うのと同じくらい自分の喜びにエネルギーを注いでみた結果。
娘が生まれて、もう、死んでもいい。と思った。
夫も、娘をシッターさんに預けて楽しそうにお茶してる私を見て「俺、もう死んでもいいかも…」とか言ってた。
そのくらい守りたい、大切なもの。
でも、それでも、あえて願望に火をつけようと思うこの頃。
この先の景色も一緒に見てみたい。
人生は、冒険だから。



