日常という奇跡体験

ゴールデンウィークは、初めて伊豆の大室山に行きました。

ロケーションも素晴らしく、そこでの出会いや体感も見事でした。
連続した日常のワンシーンのように見えて「切り取られた今」として捉える瞬間に、娘の成長がよく見え、それと同時に私自身も成長(気づき)が得られました。大室山を教えてくれた透明感のある少女が言っていた「神秘的な場所が好き」という言葉の意味も、よくわかる気がして。

私にとって伊豆は、そもそも特別な場所だったことも相まって。

知らなかったものや知らなかったこと、それを知ること、学ぶことができたことをカウントしてみると、毎日毎日、たくさんの「出会い」に恵まれている。

たとえ相手が同じ人であっても、コミュニケーションを通して見知るものは違っていく。
本来、人間はそういうものなんだけど、私たちは過去や何かに影響されて、知ってるつもり、わかったつもりで目の前のものを「いつものもの」として捉えたり、関わったりしてしまいがち。本当はただ「自分が認識した(する)前提のもの」が写っているだけなんだけどね。

だから自分の視野が広がったり、自分の視点が変わったり変化した時に、相手や目の前の物事、過去のできごとを「実はわかってなどいなかった」と気づく。自分自身に対しても。

恋愛だって、わからないからこそ惹かれるし、わからないからこそわかろう、わかりあおうとするし、わからないからこそ面白く、学びがある。
それが「可能性」の領域。

連休が明けたら母の日がやってきて、ピンク色のカーネーションと、手作りのバラのお手紙をプレゼントしてもらいました。
「このバラのお手紙、どうやって作ったの?!」と聞いたら
「ちょっと参考にしたけど、あとは想像して。想像力、豊かだからね☆」だって。
4月からパパとずっと準備してくれてたなんて、それこそ全然想像してなくて、驚いて思わず涙。
娘はキョトンとした顔で眺めていたけど、本当に嬉しかった!