人に頼る、という強さ

私が心のことを本格的に知ろうと思ったのは、一人で頑張ろうとしすぎた結果、どうにもならなくなってしまったから。

とはいえ、どうにもならない状況が「一人で頑張ろうとしすぎたせい」だとは、当時の私にはわかりませんでした。
肉体的にも精神的にも、キツい…という状況には何度か出くわしていたけれど、いよいよ限界が来たときに、はじめて「できないって言うことを、すごく恐れていた」ことに気がつきました。

人のニーズを受け入れて、相手が喜ぶために、嫌われないために、呆れられないために、自分のキャパシティをどんどんどんどん超えていきました。
結局、体を壊したり、情緒不安定になったり。

自分がNOと言うことは、相手が喜ばないどころか、嫌われたり、呆れられて、自分の存在価値や存在意義がゆらぐこと。

そう信じていた、ということになります。

頭で考えれば極端な思考だとわかるけれど、当時は『人の評価=私の価値』となってしまっていたのです。
だから自分の価値を失わないために、必死に相手を喜ばせるというおかしな構図に。

私だけでなく、世の中にはそんな人がたくさんいるなあ、と思います。

そもそも、何かをNOと言うことは、自分の価値を失うことでしょうか?

◯◯はできないけれど、●●ならできる。
今はできないけれど、1時間後ならできる。
私にはわからないけれど、あの人なら知っていると思う。

そんな交渉や代替案をはさむこともなく、そして何より、それをやりたいのか?やりたくないのか?
という「私のニーズ」は完全に失われています。

無理である背景には、今抱えているものが大きすぎるがゆえに、受け入れられないこともあります。
受け入れたいけれど、受け入れる余地がない。
その「余地のなさ」「余裕のなさ」に抱えている「何か」を解決することができたら、はじめの相手のニーズに快く応じられる「余裕のある自分」になれるかもしれない。

そのために、限界に至ってパンクする前に、無理をしている自分を認めることや、なぜそうまでして頑張ろうとするのかを知ることは、日々の全力疾走を有酸素運動に変えるような、健全で健康的な活動に変わっていく。

そんなふうに思います。